バブル崩壊後の1970年から1982年に生まれた人々(今の40代)は、就職氷河期世代と呼ばれています。就職難のなか非正規労働者として生きることを余儀なくされた世代です。【シリーズ 就職氷河期世代の生きた道】では、非正規労働者として生きながらも、正社員やフリーランス、経営者へと進んでいった人々の生き方をインタビューしています。苦しい時代を乗り越えてきた先人の経験を知ることで、あなたの生き方や選択にヒントが得られるかもしれません。
地元の一般企業に就職するも20代で個人事業主に。若くして栄光と挫折を味わう
SATOSIX
40代前半・飲食事業を手掛ける企業の正社員
20代のころweb制作事業で起業するも、数年で廃業。
その後は派遣社員としてインターネット回線の販売員として働く。
今回はSATOSIXさん(40代前半・会社員)のこれまでの人生をお聞かせいただきます。
現在は飲食事業を展開する企業にお勤めで、キッチンカー部門の責任者として活躍しているそうですが、若いうちに独立して倒産も経験したんだとか?
ええ、その通りです。大学卒業後、地元の一般企業に就職しましたが、待遇に納得がいかず、ウェブデザインが得意な友達と組んで、個人事業主になったんです。
僕は主に営業を担当し、友人がデザイン、コーディング。その頃はインターネットが普及し始めたばかりでホームページを作りたい企業が多かったんですよね。
おもしろいほど簡単に仕事が取れて、始めて半年で正社員時代より稼げるようになりました。一番いい時は月収で70万円ぐらいでした。
もうちょっと頑張れば年収1000万円コースじゃないですか。たしかに2000年代初頭は猫も杓子もホームページを作らなければという時代でした。今みたいにSNSで簡単に情報発信できなかったので、みんな独自ドメインを取得してテーブルレイアウトのhtmサイトを作ってましたね。
しかし、好調だった事業も倒産することになると…
僕もコードやデザインを勉強すればよかったんでしょうね。
かなりタイトなスケジュールの仕事を取ってきて、あとは友人に丸投げしていたので、相当ストレスが溜まっていたみたいです。ある日「もうお前とはやってられない」と。
その時受注していた案件が終わってからは連絡も取れなくなってしまいました。webデザインが出来る知り合いは他にいませんでしたし、新規の案件を受けることが出来なくなってしまいました。そして倒産というか廃業ですね。
今ならココナラやクラウドワークスで外注も出来ると思うんですが、当時はそういったサービスなかったので、これは終わったなと。
そこからは大変でしたね…。
翌年支払う税金だけは確保して、親に頼み込んで実家に戻りました。あの時は本当にきつかったですね。うまくいっていると思っていたものがいきなり無くなるのって、実際に味わうと、ものすごい衝撃なんですよ。
まだ若かったんでなんとかなるという思いもありましたが、やっぱり未来に対する不安の方が大きくて、円形脱毛症になりました。それまでの貯蓄と、家賃無しで生活できる実家があったのがせめてもの救いですね。
リスクは取らず地道に働くことに。派遣社員からの再スタート
もうちょっと頑張れば年収1000万円コースが一瞬にして消えたわけですが、その後は派遣社員でインターネット回線の販売を始めることになるんですね
実家で3か月ほどニートをしていたんですが、その間もう一回、独立してやりなおすか、労働者として雇用される側になるかずっと自問自答していました。
本心としてはやっぱりもう一回挑戦したい。結婚もしていないし、まだ若いからやり直せると思ってました。
資金がないので在庫を抱えずに始められるビジネスで何かないかと考えていたんですが、web制作はデザイナーがいないのでもう難しい。他にお金に変えられる技術やスキルもない。営業代行も考えましたが、自分の実力でそれを請け負うのは無理だろうと。
だったら、ここで変にリスクを取って何か始めるよりは、一度働いて自己資金をある程度、500万円ぐらい作ってから融資を受けるのがいいかなと。自己資金を作っている間に、なにか新しいアイデアや人脈ができるかもしれないと思うようになりました。
そこで、少しでもインターネットにかかわる仕事で給料のいいところを探した結果、ブロードバンドの販売スタッフに行きつきました。
派遣ですが時給1500円、月だいたい30万~40万円になるので実家暮らしなら貯蓄は簡単に出来ますからね。中途で正社員で働くよりはそっちのほうが待遇がよかった。それが2008年ぐらいの話です。
アラサーで再スタート。しかも非正規雇用。これだけ聞くと、不安要素しかないですねぇ
そうですね(笑)
うちの親は薬剤師で、妹は都心の美容室でトップスタイリストとしてバリバリ働いている中、派遣でイチからやり直すというのはかなり居心地が悪かったですね…。
でも、派遣は年収低いイメージがありますが、実際働いてみるとそうでもないんですよ。正社員として働いてる同級生よりも収入はありました。
生涯の収入となると全然話が違ってくると思いますが、僕の場合はその先でもう一度独立するつもりだったので、今稼げることの方が重要でした。
仕事自体は大変でしたか?
有名な家電量販店が勤務地になるので、ルールはかなり厳しいですね。
販売スタッフは当然目標があって、それをクリアする事が仕事になるんですが、契約が取れない日が続くと心が折れてきます。
僕は営業をやってきたので接客は割と得意な方で、だいたい目標はクリアできてました。なんだかんだ3年以上この仕事を続けられたのはそれが大きいですね。まったく契約が取れず辞めていく人も多かったので。
コミュニケーション能力は必要になりそうですね。買い物行ったときに無愛想な店員に対応されると、温厚な私でも「二度と行くか」と思いますから。
…そして、ここから非正規雇用から正社員になる時期に入っていくわけですね
派遣のブロードバンド販売から、飲食系の会社に入る経緯はどんなものだったのでしょう?
全く経験のない飲食業、大手企業に正社員として入社する事に
今、僕がいる会社は東京にある飲食関係ですが、ここは僕が登録していた派遣会社の取引先です。僕は派遣会社の営業と仲が良く良く飲みに行ったりしていました。その方の紹介で全く経験のない飲食業界に飛び込むことになりました。それが3年前の話です。
ちょうどキッチンカー事業を新たに展開しようとしていたタイミングで、車の運転ができて接客も問題なくできる人材を探していたようです。
僕は僕で、インターネット関連の事業はもうついていけないと思っていました。僕の古い知識ではとても通用しないだろうと。新しいシステムやプラットフォームを開発するアイデアもないですし、SNSや動画で稼ぐスタイルも完全に乗り遅れてしまったので。
飲食業界は参入しやすく、潰れやすい業界ですが、企業として何店舗も運営しているところなら潰れる可能性は低いだろうし、キッチンカーならノウハウが分かればそのうち自分でも始められそうだと思い、このお誘いを快く承諾しました。
派遣で働いている人は、派遣会社の営業や、派遣先の方と仲良くしておく事をおすすめします。ちょっと社員を増やそうというタイミングで声がかかったりするので。
結局人との縁、コネクションが重要です。コミュ力ないと思っている人も、少しでもいいので歩み寄る努力はした方がいい結果に結びつくと思います。
キッチンカー事業は実際始めてみてどうでした?最初は出店するのも売上上げるのも大変だと聞きますが。
イベントに出店するのは大変ですね。うちの会社は不動産系の会社につてがある社員が何人かいて、大きなマンションのエントランスなどに定期的に出店できるので、そこである程度売り上げは上がっています。
今販売しているのは、うちの会社で運営してる店の弁当やホットサンドなどですが、お店の調理担当の方はこだわりが強いので、いくらキッチンカーであっても妥協はしないんですよね。レシピや調理方法を覚えるまでが地獄でした。自分自身の調理スキルが急激に上がっていく手応えはありますが、とにかく大変でした。とはいえ楽しいと思えるので自分にはあってそうです。
あと、スタッフ同士の人間関係も仲良くなるまでは毎日諍いがあって苦労しました。
キッチンカーの業務は仕込みから販売までやることは多いですが、一度覚えてしまえば自分でも開業できるのでやりがいはあります。店舗を持つよりは少額で始められるのも魅力ですね。
もう少し資金を貯めて、引継ぎできるスタッフが育ってきたら地元に戻ってキッチンカーか飲食店を開業してもいいなと思っています。
今40代前半なのでやるとしたら、これが最後のチャンス。今回は失敗するわけにはいかないのですべてを慎重に進めていきたいところですね。
あなたが苦しい時代を生き抜くのに必要だと思う事
では最後に、就職氷河期を生きてきたあなたが、苦しい時代を生き抜くのに必要だと思う事はなんですか?
先ほども申し上げましたが、人との縁、コネクションが重要だと思います。
それを作っていくのは普段から好感度を上げておく事だと思います。自分自身を磨き上げておく事、誰が相手でも横柄な態度を取らないなど、当たり前だけど意外と出来なことを意識して行う。第一印象でこいついいやつそうだなと思わせたら、そのままいいやつでいる事です。
ムカつくなーという思いは同僚の前ではなく、家で吐き出したらいいんです。
僕は若い時に、人との縁が切れてしまったため物凄い苦労しました。そこからはやり方をガラッと変えて這い上がってきました。今は年収も一応40代の中央値よりはちょっと多めにもらってるので、今のやり方は正解だったと思っています。
他の人はどうやって生きてきたのか?苦しい時や、人生の岐路での選択について、もっと知りたいと思う人は多いのではないでしょうか。人は誰しも不安や迷いを感じるものだと思います。失われた30年、低下する日本の国際競争力、この先やってくる超少子高齢化社会。未来は暗澹としています。様々なタイプの「普通の人」の生き方の中に苦しい時代を生きる知恵を見つけられるかもしれません。